小屋入りして3日、慌ただしい準備の中でその場に慥かに馴染んでいくダンサーたちを眺めながら時間を過ごしている。
本番を前にしてここまで3つのイベントが行われた。
「6stepsを組み立てる」(4月4日【月】)
本番で使われる階段が会場に搬入されて組み上げられていく様子が動画配信された。
パフォーマンスではないのでどこかで特に大きな盛り上がりがあるわけではないのだが、広いフラットなホールの中に2つの階段が徐々にその姿を現す様子はぼんやりとずっと眺めていられる印象を受けた。
例えば演出家がいれば、何か効果的に見せようとするのだろうけれど、それはちょっと行き過ぎるとしばしば残念な結果になるのでとても難しい。
ちょうどダンスにおけるそういう行為のことをこの期間中よくダンサーたちは「スケベ」と称して話していて笑いながら興味深く聞いている。
『6steps』はもっと面白可笑しく演ることも可能だろうと想われるが、今回の演出においてはそのような行為は極力排除されながら構成されているように見ている。
それをどのように観客が受け止めるかがこの作品の大きな分かれ目になるような気がする。
それからこの配信を観ていて、悪魔のしるしの「搬入プロジェクト」を思い出したりもした。
搬入される物体を眺めているといつもどこかのタイミングでそれが生命体のように思える時間が発生する。
しかしそれが完全に設置されると再びそれは物質的な存在感を発揮する。
舞台美術においてこの二面性はとても重要なことであるのではないかと考えている。
設置された階段たちはそこにダンサーがいない時から不思議な雰囲気を醸し出してそこに在る。
「6stepsの中で過ごしてみる」(4月5日【火】)
出演者といっしょに6段の階段で実際に踊ってみたりしながら 2時間弱の時間を過ごした。
今回の階段は一つは裏側から、もう一つは裏側と側面から中の空洞に入れる設計になっているのだが、参加された子どもたちが階段に昇ったりするよりも先に一目散にその空洞の中に潜り込んでニコニコ笑って喜んでいたのには結構驚かされた。
大人になると階段を階段と認識すれば通常はもう昇降の道具としてしか思えないものを、子どもたちはあっという間に階段の階段以外の楽しみ方を発見してそれを実践して見せたのだ。
参加者にはダンサーの方もおられたが、人が変わればそれによってまた新しいダンスが生まれるのが興味深い。このダンスは理想の踊り方があると言うよりは、ダンサー(昇り手)の数だけその拡張に可能性があるように思う。
最後に実際の構成で挑戦してもらったがそれぞれの『6steps』が生まれていくように感じた。
階段を昇るとその人の身体特性がよく見えてくる。
階段は人の身体を映し出す鏡のようにも思えた。
「6stepsを眺めてみる」(4月6日【水】)
実際に通し稽古を観させてもらってご参加いただいたみなさんに感想を伺う時間をいただいた。
今回映像撮影をされる鐘ケ江歓一さんにも協力してもらって、カメラ撮影で行われている望遠の様子を見てもらいながら、観客の目が実はそれと同じような働きをしていたり出来ていなかったりする感じをあらためて認識してもらった。
また2階席から舞台を眺めてもらったり高低の差のある椅子に座ってもらったり自由に動きまわりながら眺めてもらうことも行ってみた。
実際には観客はほとんどの場合観劇中割り当てられた客席に固定されてしまう。
それは大変なことだが、舞台を観るとても大きなおもしろさだと思う。
そしてこの人間の目のズームやフォーカスの機構については誰もが気づいていることではあると思うが、観劇の間にそれを意識することを維持しながら眺めることが出来たら、かなり見え方は変わってくるのではないだろうか。
ただ結論的には、作品は観客それぞれ自由に観るものだと考えているし、それが一番大切だと思っている。
終了後色々なご意見を聞かせていただいて、目から鱗が落ちるようなこともあった。
トリコロールケーキの今田健太郎さんから「ダンス公演と言うより思考めぐらせ促進装置」という評をいただいたが、私も同感で言い得て妙だと思う。
ただこれは演劇人である今田さんや、どうしても舞台上にドラマを求めてしまいがちな私の観方ゆえでもあって、もっとダンス側に寄った観方をされる方はまた違った感想を持たれるかもしれない。
前述の通り少なくとも今のところ『6steps』は安易なおもしろさは排除する方向に進んでいるように思う。
このように意見を伺うことにより作品はまた変わったり変わらずにより確固としたものになったりしていくのだろう。
(4月7日【木】)
さて今夜いよいよ本番である。